「アイロンのある風景」(村上春樹)

「死」と隣り合わせにいる人間への光明

「アイロンのある風景」(村上春樹)
(「神の子どもたちはみな踊る」)
 新潮文庫

「アイロンのある風景」(村上春樹)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

二月の深夜、三宅から
焚き火に誘われた順子は、
恋人・啓介とともに
海岸へ向かう。
三宅は焚き火が好きで
この海岸の町に
住み着いた男だった。
焚き火を見ながら、
順子はいつも
ジャック・ロンドンの
「たき火」のことを
考えるのだった…。

三人で焚き火を見ていたが、
途中から啓介が帰り、
順子と三宅の二人で焚き火を見ながら
自らの生き方・死に方を考える、という
筋書きです。
初読の際はいったい作者・村上春樹
何を言いたいのか
よくわかりませんでした。
村上作品はメタファーで
表されている部分が多いのが常です。
本作品もそうなのでしょう。

鍵を握っているのはやはり
ジャック・ロンドン「焚火」です。
「零下50度以下では
決して一人で旅してはならない」という
老人からの忠告を無視して、
単独行動に出た若者が、不注意から
焚き火を起こすことができなくなり
凍死するという筋書きです。
本作品も、
順子と三宅は死に向かいます。
「どや、今から俺と一緒に死ぬか?」と
投げかける三宅に、
「いいよ。死んでも」と
順子は答えるのです。

二人には「死ぬ」理由はありました。
順子は両親から逃げて
町へやってきた少女です。
啓介と同棲しているとはいえ、
そこに安らぎを見出しているようには
見えません。
彼女は自らを「空っぽ」と称しています。
三宅の事情は
明確には書かれていません。
しかし神戸に残してきた
妻と二人の子どもが、
一ヶ月前の阪神大震災で
亡くなったであろうことが
推察できます。
おそらくは炎に焼かれて。

本作品は、二人が死ぬ約束をし、
その前に焚き火のそばで
一眠りするところで幕を下ろします。
ジャック・ロンドンの「焚火」の結末は、
主人公が静かに眠りにつき、
命を終えます。
目が覚めたあと、
順子と三宅の二人は死ぬのか、
それとも生きるのか?

村上はジャック・ロンドンの
「焚火」について、
順子に「基本的にはその男が
死を求めている」という
解釈をさせています。
死を求めながらも厳粛な自然と闘い、
敗れていった男。
彼の死は、焚火に見捨てられたことから
動かしようのないものへと変化します。
一方、順子と三宅の前には、
しっかりと焚き火が燃えています。
焚き火は二人を
見放してはいないのです。
だとすれば、
二人は死を求めながらも、
最終的には「生」を掴み取る
予感が感じられます。

順子がジャック・ロンドンの
「焚火」について特異な解釈をした理由は
「この話の最後はこんなにも静かで
美しい」からなのです。
本作品もまた、静寂に満ち、
麗しげな情緒を讃えています。
それでいながら、本作品には
一縷の希望がしっかりと
表現されているのです。

表題は、三宅の描いた絵画
「アイロンのある風景」が
あてられています。
三宅は冷蔵庫が嫌いで
部屋には置いていないことが
書かれてあります。
冷蔵庫が人為的に
冷気を作り出す装置だとすると、
アイロンはその対極にあり、
焚き火と同じように、
人間に暖を与える存在としての
メタファーと考えられます。
焚き火もアイロンも、
「死」と隣り合わせにいる人間への
光明として考えるべきなのでしょう。

※「日本文学100年の名作第9巻」の
 巻末解説で
 編者が指摘しているように、
 国木田独歩「たき火」を、
 志賀直哉も「焚火」を著しています。
 作家たちは焚き火に惹かれる人間が
 多いのでしょうか。

「神の子どもたちはみな踊る」
 収録作品一覧

「UFOが釧路に降りる」
「アイロンのある風景」
「神の子どもたちはみな踊る」
「タイランド」
「かえるくん、東京を救う」
「蜂蜜パイ」

〔本書収録作品一覧〕
1994|塩山再訪 辻原登
1995|梅の蕾 吉村昭
1996|ラブ・レター 浅田次郎
1997|年賀状 林真理子
1997|望潮 村田喜代子
1997|初天神 津村節子
1997|さやさや 川上弘美
1998|ホーム・パーティー 新津きよみ
1999|セッちゃん 重松清
1999|アイロンのある風景 村上春樹
2000|田所さん 吉本ばなな
2000| 山本文緒
2001|一角獣 小池真理子
2001|清水夫妻 江國香織
2003|ピラニア 堀江敏幸
2003|散り花 乙川優三郎

(2022.3.31)

David MarkによるPixabayからの画像
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